第52回 特別養護老人ホーム愛の園創立記念式
創立記念式宮崎理事長の講和を以下の通り文字で起こしています。
みなさん おはようございます。
今日愛の園は、創立52周年の記念日を迎えました。今年は皆一堂に会して記念式典が行えるのではないかな!!
その時、15年、5年と勤続して下さつた。6名の方、15年勤続の厨房の浦地かおりさん。5年勤続のケアワーカー、阪口千鶴さん、坂本あかねさん、芝本真美さん、堀昌仁さん、山崎大輝さんに感謝しみんなでおめでとうの拍手をしてあげられたらと期待していたのですが、思いがけず、9月に入つてコロナ感染で、式典はお預けになりました。5年、15年と愛の園で頑張つて下さった方達に皆さん、愛の園中で感謝の拍手を送りましょう。そしてこれからもどうぞよろしくお願い致しましょう。
式典はお預けになりましたが、職員の方達の尽力によつて、コロナの危機を乗り越えられ、入居者の方達の生活が平常に戻つたこと、それが何にも代えられぬ大きなお恵みでした。皆さん本当にありがと!!
感謝でいつぱいです。今まで、思いがけないことが起こって来るその続出ですね。
令和2年に発生したコロナによりすべてが一変しました。
その逆境の中で職員の方達は本当によく頑張つて下さいました。
特に経営に携わる立場の方達の苦悩は並大抵なものではありません。
皆さんに無理をお願いする心中を思うと居たたまれない気持ちでした。 しかし皆さんが、理解をして下さつて共に重荷を背負って頂いていることを、感謝しきれませんでした。
そんな中で、52周年の記念日を特別な思いで迎えました。
創立から一年一年の層が重なって52年の歴史の層、決して順風満帆ではなく、その一層一層に苦難のドラマがありました。創立当初の理想を掲げて実現させていく開拓の苦労。軌道に乗りつつある事業をより充実させ、継続させていく努力、そして、岩田から生馬に拠点が移され、新築された愛の園で、ユニット形式で出発してから、早いもの16年、新しい形式になつた当初、各部署で試行錯誤しながらより良いものを作り上げようと、希望に燃えて、全員が協力し合い、連携し合い、懸命に取り組で、土台を築いて下さつた。そして現在があります。
52年前の9月30日、愛の園の開園の日に、和歌山県下で2番目に誕生した特老、愛の園に大きな期待をしている人々の前で、創立者である深田理事長がなさつた感謝の挨拶の中で、「私どもが精神を打ち込んでいるのは、お年寄りの切実な求めを受止め、心のかよいのあるホームを職員全員が、心を合わせて育て上げることです」というくだりがあります。この熱い思い願いは、今私達に語られ、求められていることですね。今年の創立記念日はそのことを心に刻んで欲しいを願っています。
どんなことが起こっても、どんなことがあつても、また、形は変わろうが、時が移ろうが、 中身は変わらない。真髄である創立の精神「キリストの愛を以つて互に仕える」
どんなことがあっても、その中身は変わらない。 そして創立者の願い「私どもが精神を打ち込んでいるのは、お年寄りの切実な求めを受止め、心のかよいのあるホームを職員全員が、心を合わせて育て上げることです」わたしたちがその中に生きる、それを使命とする。それを神様が私
たちに望まれています。そして即愛の園に望まれていることですね。
52年目の層、見守りの中ですべてに感謝し、両手で頂く丁寧な心で頑張って参りましょう。
私の心に響くことぼを、紹介させていただきます。
「足あと」
ある夜 わたしは 夢をみた
神様と 二人並んでわたしは 砂浜を歩いていた。
砂の上に 二組の足あとが見えていた。
一つは神様のものもう一つはわたしのものだった。
しかし最後にわたしが振り返って見たとき
ところどころで 足あとが 一組だけしか見えなかった。
それはわたしが 一番悩み苦しんだ時だった。
わたしは神様に「どうしてわたしが一番、苦しんだ時一緒にいて下さらなかったのですか?」問うた。
すると神様は「わたしの愛する子どもよ わたしは決してお前のそばを離れたことはない お前がもつとも苦しんでいたとき砂の上に一組の足あとしかなかつたのは
わたしがあなたを背負っていたからなんだよ」